魚屋で働いた理由

自分が一番大切だった

魚屋の事務の仕事が舞い込み、在宅でもいいと言われ、
それならばと、始まった魚屋の仕事だけど。


ほんのお手伝い程度のつもりが、1年も経つ頃には、
午前3時には起きて魚屋に行くようになった。


昼間の魚屋は、店売りが忙しくて、
落ち着いて事務が出来ないから、早朝に出勤して事務をした。


そして、一旦、家に帰って家事を済ませると、
また、忙しなく店売りの手伝いに魚屋へ行った。


その頃の魚屋は、猫の手も借りたいほどの忙しさで、
あっちに走りこっちに走りして、お客さんをこなすのが楽しかった。


不謹慎だけど、
お店屋さんごっこをしてるみたいにおもしろかったよ。




それから10年以上の月日が流れ、
勝手なもので、子供が自分から離れた今になって、
あの頃の自分を後悔してる。


二人の子供を、ほったらかしにしてまで、
あんなに魚屋のために働く意味があったのかな...。(*´ェ`*)


子供と過ごせる時間なんて、
自分の一生から見たら、ほんのわずかな時間なのに、
その貴重な時間を削る価値があったのかな...。(*´ェ`*)



凜太郎が生まれて、10年ちょっと、
どっぷり専業主婦を過ごしていた私が、
病院の栄養士さんたちと関わり合いながら仕事をしている内に、
何だか、自分が社会の役に立っているような気持ちになったのだ。


大して役にも立っていないのに、
自分が役にたっていると勘違いして、すごく嬉しくなったのだ。


笑えるほどの大きな勘違いをしていた。



子供が可愛いとか、子供が一番大切だと言いながら、
結局は、自分が一番大切だったのだ。





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長靴で働くようになった理由 4

病院や施設に魚を納品してい
必ず、月末に金額の照合をしなければならない取引先が数件あった。


2001年12月31日も、やはり、金額の照合をするために、店売りを手伝っていたは、
午後3時を過ぎた頃、5階の事務所へ上がった。


椅子に座る、どっと、疲れを感じた。
背中が痛くて痛くて、息が出来ないほど痛かった。


そんなに痛みがあると言うのに、お店では痛みにも気付かず、
懸命に
働いていた。痛みに気付かなかった自分驚いた。


驚きながらも、痛みに耐えるため
しばらく、机に体を伏せた。


少し落ち着くと、金額の照合を済ませ、また、お店に戻って働いた。
閉店午後7時まで、働き続けた


そして、それから、事務の仕事をした。
終わって帰ったら、午後10時だった。
午前5時から午後1時まで、長い一日だった。


くたくたになって、家に帰ると、幼い凛次郎が、飛びついて来た。
あーあん 泣いて、私に抱き付いて来た。 。゜゜(´□`。)°゜。




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私が長靴で働くようになった理由 3

私が魚屋の事務で働くようになったのは、11年前の9月末だった。


9月決算で、1年分溜めてた事務の仕事を何とかしなくてはなくて
とうとう、(社長の)奥さんのお尻に火が付き、
やっと、重い腰を上げ、事務員を雇ったらしかった。


1年分の仕事をまとめてするので大変だったけど、
仕事量が多くて大変なのではなく、めちゃくちゃで大変だった。


その年の暮れ、私は、奥さんに頼まれて、
初めて、店売りを手伝った。


どうして、その時、私は、断らなかったんだろう。


主婦の12月30日、31日がどれだけ忙しいか
誰を責めるわけにもいかない、自分の責任だ。



その時、11年後の今、
こんなに年末が来るのが憂鬱になるとは思いもしなかった。


あの頃は、毎日、二人の息子と生活できてるのが当たり前で、
年末に
家を空けても気にならなかった。


でも、子供たちが大きくなって、一緒に過ごすことが貴重な今、
年末の仕事がとても苦になっているのだ。



「ブリトロ」と言う半養殖の大きなブリが、年末のお店の看板商品で、
当時、不景気とは言え、まだまだ、
ブリが丸で(1本単位で)売れていた。


ブリは10kgくらいある。
とても、私ひとりでは抱えられないくらい重かった。
片身でさえ、重くて、大変だった。


棚に並んだブリを抱えて、魚屋の)お兄さんに渡し捌いてもらい、
また、捌いたブリを、お客さんに渡す。
アラも付けて渡すので、捌いてもらっても、まだまだ重かった。


私は、一日中、休みなく、重いブリを抱えていた。
ものすごい肉体労働だった。



その年の年末、私は、息が出来ないくらい背中が痛くなった。



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私が長靴で働くようになった理由 2

魚屋さんのお店があるビルの5階が事務所だった。
そこで、私は、もう一人の事務員さんから仕事を教えてもらっていた。


すぐに、事務所の電話にも、当然のように出ていた


そんなある日、私はすごい経験をした。
抵抗なく電話に出ると、すごい剣幕で、まくしたてられたのだ。


電話の相手は納品先の病院の栄養士さん。


伝票が2枚、来てるんですけど」 (`Д´) 


入ったばかりの私は事情も分からず、
を怒っているのかも呑み込めなくて、私は言った。


「お店に行って確認してみます」


すると、さらに、怒涛の勢いで叱咤された。


「2枚もあるわけないでしょ
 ...$%&#!!!
1日1回しか納めはありませんから
...☆*+∥#!
あなたね、新しい事務員さん?
ちょうど、よかった
 なら言っけどね
」 (`□´)


「.....。」 Σ(゚д゚;)


と、まぁ、そりゃ、すごかった...。 


台風と雷と地震が一度にやって来たようだった。w(*゚o゚*)w


後で分かったことだけど、
この栄養士さんも問題方だったらしい。


でも、それ以上に、
罵声を浴びせられても仕方のない魚屋だったのだ。


そのことを、私が分かるのに、大して時間は必要なかった。



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私が長靴で働くようになった理由

それは、突然だった。


専業主婦の私に、思い掛けない、魚屋さんの事務の仕事が舞い込んで来た。

9月中頃、まだ、残暑も厳しい頃のことだった。


当時、4歳の凛次郎(次男)は、保育園ではなくて幼稚園に通っていて、
働くのはとても無理だと思っていた。
そしたら、家で事務の仕事をしてもいいからと言ってもらえて、
在宅勤務でもいいのならと、させていただくことにした。


魚屋さんは病院や老人施設など20か所くらいに魚を納めていた。
一月の売り上げが数千万、その売掛けの事務が私の主な仕事だった。


在宅と言う約束だったけど、成り行きで、毎日、魚屋さんに通うようになった。
小さな凛次郎を連れて行くと、よく、「おしっこ おしっこ」と言って、私の手を煩わせた。


事務所はお店の5階にあって、1階のお店と5階の事務所を、よく行ったり来たりした。
エレベーターを待つ時間が惜しくて、階段をよく走った。


でも、病院の納めの事務は、現場に直結したお店にいる方が効率がよくて、
次第にお店で事務をするようになった。


金庫のそばのカウンターを机代わりにして、
魚の血や汁が飛ばないようにスチロールで囲った。
スチロールは魚が入ってたものをきれいに洗って使った。
ちょっとした、私の部屋みたいになった。


お店に出ると、店売りまで手伝うようになった。
事務の仕事しかしたことのなかった私は、この販売の仕事が物珍しくて楽しかった。
とても失礼だけど、「お店屋さんごっこ」みたいで、すごく面白かった。


当時、お店は猫の手も借りたいくらい忙しかった。


なにせ、私が社員と思って、バレンタインデーにチョコレートを上げたおじさんは、
取引先の冷凍屋のおじさんだった。


冷凍屋のおじさんが、毎日、売り子をしていたのだ。 w(*゚o゚*)w

そのくらい、忙しかったのだ。


こうして、私は、長靴を履いてお店で働くようになった。
そして、それは、ピンクの長靴だった。始まりはピンクの長靴だった。
                
                        



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