燦々と照り付ける太陽。青空に浮かぶ入道雲。
夏の象徴は気持ちを明るくしてくれる。
なのに、例え、灼熱の太陽が私に降り注いでも、
私が真っ青な空を仰いでも、私の気持ちは晴れない。
先週、私は、ずっと、心が曇っていた。
私にはどうすることも出来なくて、ただ、じっと、見守るしかなかった。
親としての力量のなさ、無力な自分が情けなかった。
私には、凜太郎(長男)と凛次郎(次男)の二人の息子がいる。
凜太郎が生まれてから、私は、なかなか、二人目に恵まれなかった。
でも、私は凜太郎のために、どうしても兄弟を作ってあげたかった。
そして、やっとの思いで授かったのが凛次郎で、8歳離れている。
凛次郎は、赤ちゃんの頃から、いつも、にこにこ、にこにこしていて、
凜太郎は、「凛次郎の笑ってる顔が一番好き」と言っていた。
そして、凜太郎は、よく、凛次郎の面倒も見てくれた。
私の運転する車で、凜太郎の習い事に向かう時は、
凜太郎が凛次郎を抱いてミルクを飲ませてくれた。
積み木やブロック、合体ロボット、プラレール、ウルトラマン...
よく、一緒に遊んでくれた。ただ、遊んであげてるのか自分が遊んでるのか、
よく分からなかったけど。
凜太郎には、凛次郎が大切で大切でたまらない弟だった。
それは、きっと、今も変わっていない。
8歳の年齢差は大きくて、凜太郎が小学校5年生になっても、
凛次郎は、まだ、2歳だった。
凜太郎は、そんな小さな2歳の凛次郎のそばに行っては
「凛次郎、遊ぼう!遊ぼう!」
と、凛次郎を誘い、凛次郎は遊んでる積木の手を止めて
「野球をしたらええんやろー」
と、さも、しょうがなさそうな感じで、よく、凜太郎の野球の相手をしていた。
2歳の凛次郎が、小学校5年生の凜太郎の相手が出来るのかと思うけど、
これが、結構できるのだ。
プラスティックの野球の道具だけど、凛次郎はミートがよくて、
よく、バットにボールを当てて飛ばしては、凜太郎や私を驚かせた。
凛次郎は8歳上の凜太郎に早く追い付きたくて仕方なかった。
凜太郎のすることなすこと、すべて、自分もやって見たかった。
きっと、気持ちは追いついていた。
凛次郎は凜太郎が大好きだった。
そして、今でも、ずっと、大好きなままだ。
凜太郎は高校生になって、テニス部に入った。
中学時代も本当はテニスをしたかったけど、学校の部活になくて、
他の部に入っていた。
念願かなって入部したテニス部だけど、練習がこの上なくきつくて、
高校時代、凜太郎は家に帰ると、ひたすら、寝ていた。
凛次郎が小学校2,3,4年生の時だった。
その頃、凛次郎は、しょっちゅう、
「お兄ちゃん、また、寝とるよ」
と、私に告げ口をしていた。
そのくらい、凜太郎はいつもいつも、寝ていた。
(私は、怖くて、高校時代の凜太郎の成績を見たことがない)
その部活の顧問の女先生は、母校でもある高校で、
とても熱心に指導してくださった。
女先生は凜太郎たちの前でおっしゃったそうだ。
「進学校やから、部活は適当にしたらええって言われるけど、
私はええ加減は嫌いやからね」
ある時、凜太郎が
「今日ね、先生がちっちゃい子供を連れて来たんやけど、
凛次郎ぐらい小さいんやけど、すごくうまいんよ~」
と言ったことがあった。
このちっちゃな子供と、後々、出会うことになるなんて、
その時、思いもしなかった。
さて、とてもハードな練習だったけど、
凜太郎は勉強をすることもなく、ひたすら寝ていたおかげで、
引退まで無事、部活を続けることが出来た。
卒業の時、卒業生たちも女先生にコーヒーカップの贈り物をしたそうだけど、
女先生からも卒業生ひとりひとりに置き時計をいただいた。
その置き時計は凜太郎がひとり暮らしをする住まいに持って行き、
テレビ台の上に大事そうに飾られていた。
「先生がくださった時計ってこれ?」
「うん。多分、『時間を大事にしなさい』ってことだと思うけど」
勉強と部活を両立するためには、時間の使い方が大事だ。
女先生は、きっと、これからも、時間を大事にするようにと言う
思いを込めて送ってくださったのだ。
この時、あらためて、私は女先生の深い思いに感謝した。
そして、中学生になった凛次郎は、大好きな凜太郎の後を追いかけて
ソフトテニス部に入った。ソフトテニス部に入ったのは、
テニス部(硬式)がなかったからだ。
つづく
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夏の象徴は気持ちを明るくしてくれる。
なのに、例え、灼熱の太陽が私に降り注いでも、
私が真っ青な空を仰いでも、私の気持ちは晴れない。
先週、私は、ずっと、心が曇っていた。
私にはどうすることも出来なくて、ただ、じっと、見守るしかなかった。
親としての力量のなさ、無力な自分が情けなかった。
私には、凜太郎(長男)と凛次郎(次男)の二人の息子がいる。
凜太郎が生まれてから、私は、なかなか、二人目に恵まれなかった。
でも、私は凜太郎のために、どうしても兄弟を作ってあげたかった。
そして、やっとの思いで授かったのが凛次郎で、8歳離れている。
凛次郎は、赤ちゃんの頃から、いつも、にこにこ、にこにこしていて、
凜太郎は、「凛次郎の笑ってる顔が一番好き」と言っていた。
そして、凜太郎は、よく、凛次郎の面倒も見てくれた。
私の運転する車で、凜太郎の習い事に向かう時は、
凜太郎が凛次郎を抱いてミルクを飲ませてくれた。
積み木やブロック、合体ロボット、プラレール、ウルトラマン...
よく、一緒に遊んでくれた。ただ、遊んであげてるのか自分が遊んでるのか、
よく分からなかったけど。
凜太郎には、凛次郎が大切で大切でたまらない弟だった。
それは、きっと、今も変わっていない。
8歳の年齢差は大きくて、凜太郎が小学校5年生になっても、
凛次郎は、まだ、2歳だった。
凜太郎は、そんな小さな2歳の凛次郎のそばに行っては
「凛次郎、遊ぼう!遊ぼう!」
と、凛次郎を誘い、凛次郎は遊んでる積木の手を止めて
「野球をしたらええんやろー」
と、さも、しょうがなさそうな感じで、よく、凜太郎の野球の相手をしていた。
2歳の凛次郎が、小学校5年生の凜太郎の相手が出来るのかと思うけど、
これが、結構できるのだ。
プラスティックの野球の道具だけど、凛次郎はミートがよくて、
よく、バットにボールを当てて飛ばしては、凜太郎や私を驚かせた。
凛次郎は8歳上の凜太郎に早く追い付きたくて仕方なかった。
凜太郎のすることなすこと、すべて、自分もやって見たかった。
きっと、気持ちは追いついていた。
凛次郎は凜太郎が大好きだった。
そして、今でも、ずっと、大好きなままだ。
凜太郎は高校生になって、テニス部に入った。
中学時代も本当はテニスをしたかったけど、学校の部活になくて、
他の部に入っていた。
念願かなって入部したテニス部だけど、練習がこの上なくきつくて、
高校時代、凜太郎は家に帰ると、ひたすら、寝ていた。
凛次郎が小学校2,3,4年生の時だった。
その頃、凛次郎は、しょっちゅう、
「お兄ちゃん、また、寝とるよ」
と、私に告げ口をしていた。
そのくらい、凜太郎はいつもいつも、寝ていた。
(私は、怖くて、高校時代の凜太郎の成績を見たことがない)
その部活の顧問の女先生は、母校でもある高校で、
とても熱心に指導してくださった。
女先生は凜太郎たちの前でおっしゃったそうだ。
「進学校やから、部活は適当にしたらええって言われるけど、
私はええ加減は嫌いやからね」
ある時、凜太郎が
「今日ね、先生がちっちゃい子供を連れて来たんやけど、
凛次郎ぐらい小さいんやけど、すごくうまいんよ~」
と言ったことがあった。
このちっちゃな子供と、後々、出会うことになるなんて、
その時、思いもしなかった。
さて、とてもハードな練習だったけど、
凜太郎は勉強をすることもなく、ひたすら寝ていたおかげで、
引退まで無事、部活を続けることが出来た。
卒業の時、卒業生たちも女先生にコーヒーカップの贈り物をしたそうだけど、
女先生からも卒業生ひとりひとりに置き時計をいただいた。
その置き時計は凜太郎がひとり暮らしをする住まいに持って行き、
テレビ台の上に大事そうに飾られていた。
「先生がくださった時計ってこれ?」
「うん。多分、『時間を大事にしなさい』ってことだと思うけど」
勉強と部活を両立するためには、時間の使い方が大事だ。
女先生は、きっと、これからも、時間を大事にするようにと言う
思いを込めて送ってくださったのだ。
この時、あらためて、私は女先生の深い思いに感謝した。
そして、中学生になった凛次郎は、大好きな凜太郎の後を追いかけて
ソフトテニス部に入った。ソフトテニス部に入ったのは、
テニス部(硬式)がなかったからだ。
つづく
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