退部届を出した翌日の金曜日の朝。
普通は、私が何度も大声を張り上げて凛次郎を起こすのに、
自分で起きて来た。よく眠れてないようだった。
退部届を提出してから「退部」が現実のものとなって来て、
私は何をしていてもそのことから頭が離れなかった。
凍えるような寒い雪の日、ラケットを握る手がカチカチになりながら練習をしたことも、
ギラギラと照り付ける太陽のもと、練習に明け暮れたことも、
夏休みに毎日のように遠くまで試合に出掛けたことも、いったい何だったのか。
大好きな凜太郎と同じ高校でテニスをしたかったからじゃなかったのか。
「退部届をもらわなかったら、決して、部活を辞めることはなかった」
そう言った凛次郎の言葉が何度も何度もこだました。
その日、夕食を食べながら私は言った。
「部活を頑張れんかったら、何でも頑張れん子になるよ。
人の能力って大して変わらんのよ。
結局は、何でも頑張れるかどうかなんよ。
お母さんが出来ることは、なんでも協力するよ」
でも、凛次郎は滅多にしない厳しい顔をして
「僕は辞めるって決めたんやけぇ」
と言って頑として譲らなかった。
こんな時、私自身がきつい部活をやり遂げたとか、
すごい勉強を頑張ったとかあれば違ったと思うけど、
そんな経験がないので子供に説得力がない。言葉に重みがない。
何を語ったところで、子供の心に響かない。
私は自分の無力さに愕然とした。
その翌日の土曜日の朝、
まだ寝てると思って凛次郎のベッドまで行くと、もう、起きていた。
やっぱり、眠れないのだ。
もちろん、夫には事の次第をすべて話していた。
言葉と言うものは言い方次第で随分、受け止め方が変わったりするものだけど、
夫はそう言うところが不器用な人だ。
だから、私が夫の言葉を代弁した。
「お父さんも言いよったよ。
『練習に出て行かんで辞めれって言われるのは当たり前のこと』って。
『会社に入ったら、辞めれなんていくらでも言われるのに、
それですぐ辞めよったらどこも勤まらん』って。
それにね、
『苦しいことから逃げよったら、これから先、いつも逃げるようになるよ』って」
すると、凛次郎は、
「僕が決めるんやけぇ」
と言って、布団をかぶった。
今までは、「決めた」だった。それが、「決める」と言った。
と言うことは、まだ、決めてないと言うことなのか。
ほんの少し、私は希望が見えた。
私は仕事に行き、ちょうど、携帯電話のそばにいた時だった。
GreeN の「キセキ」が鳴った。私の携帯電話の着信音だ。
着信名を見ると凛次郎からだった。
電話に出ると、ピーポーピーポー、救急車のサイレンの音がして、
外から電話を掛けてることが分かった。
「どうしたん?」
「僕ね、部活 続けるかもしれんけど、
お母さんに言われたけぇじゃないけぇね」
「うん、分かっちょるよ。分かっちょる。ありがとう。
お母さんね、何だって協力するけぇね」
夕立の後の晴れ間の様に私の心は一遍に晴れた。
部活を続ける理由なんて、もう、どうでもよかった。
私はほっと胸を撫でおろした。
凛次郎が「退部届」をもらってすぐに、部活の仲間は
「辞めんなよ」
と言ってくれていた。
久し振りに部活に戻ると、みんな、喜んでくれたと、
凛次郎は、はにかみながら言った。
そして、K君は
「おかえり」
と言ってくれたそうだ。
私は、実は一番つらかったのは凛次郎ではなくてK君だったと思う。
今日、8月3日は車で2時間半ぐらいの所に練習試合に行った。
4戦全敗だったらしい。私には勝敗なんてどうでもいい。
ただ、一度決めたことを最後までやり遂げて欲しいだけだ。
これから、また、何が起こるか分からない
だって、人生は筋書きのないドラマだから。
とりあえず おしまい
4日間に渡って長々とお付き合いくださってありがとうございました。
これからも頑張って子育てをしていきます。
にほんブログ村
普通は、私が何度も大声を張り上げて凛次郎を起こすのに、
自分で起きて来た。よく眠れてないようだった。
退部届を提出してから「退部」が現実のものとなって来て、
私は何をしていてもそのことから頭が離れなかった。
凍えるような寒い雪の日、ラケットを握る手がカチカチになりながら練習をしたことも、
ギラギラと照り付ける太陽のもと、練習に明け暮れたことも、
夏休みに毎日のように遠くまで試合に出掛けたことも、いったい何だったのか。
大好きな凜太郎と同じ高校でテニスをしたかったからじゃなかったのか。
「退部届をもらわなかったら、決して、部活を辞めることはなかった」
そう言った凛次郎の言葉が何度も何度もこだました。
その日、夕食を食べながら私は言った。
「部活を頑張れんかったら、何でも頑張れん子になるよ。
人の能力って大して変わらんのよ。
結局は、何でも頑張れるかどうかなんよ。
お母さんが出来ることは、なんでも協力するよ」
でも、凛次郎は滅多にしない厳しい顔をして
「僕は辞めるって決めたんやけぇ」
と言って頑として譲らなかった。
こんな時、私自身がきつい部活をやり遂げたとか、
すごい勉強を頑張ったとかあれば違ったと思うけど、
そんな経験がないので子供に説得力がない。言葉に重みがない。
何を語ったところで、子供の心に響かない。
私は自分の無力さに愕然とした。
その翌日の土曜日の朝、
まだ寝てると思って凛次郎のベッドまで行くと、もう、起きていた。
やっぱり、眠れないのだ。
もちろん、夫には事の次第をすべて話していた。
言葉と言うものは言い方次第で随分、受け止め方が変わったりするものだけど、
夫はそう言うところが不器用な人だ。
だから、私が夫の言葉を代弁した。
「お父さんも言いよったよ。
『練習に出て行かんで辞めれって言われるのは当たり前のこと』って。
『会社に入ったら、辞めれなんていくらでも言われるのに、
それですぐ辞めよったらどこも勤まらん』って。
それにね、
『苦しいことから逃げよったら、これから先、いつも逃げるようになるよ』って」
すると、凛次郎は、
「僕が決めるんやけぇ」
と言って、布団をかぶった。
今までは、「決めた」だった。それが、「決める」と言った。
と言うことは、まだ、決めてないと言うことなのか。
ほんの少し、私は希望が見えた。
私は仕事に行き、ちょうど、携帯電話のそばにいた時だった。
GreeN の「キセキ」が鳴った。私の携帯電話の着信音だ。
着信名を見ると凛次郎からだった。
電話に出ると、ピーポーピーポー、救急車のサイレンの音がして、
外から電話を掛けてることが分かった。
「どうしたん?」
「僕ね、部活 続けるかもしれんけど、
お母さんに言われたけぇじゃないけぇね」
「うん、分かっちょるよ。分かっちょる。ありがとう。
お母さんね、何だって協力するけぇね」
夕立の後の晴れ間の様に私の心は一遍に晴れた。
部活を続ける理由なんて、もう、どうでもよかった。
私はほっと胸を撫でおろした。
凛次郎が「退部届」をもらってすぐに、部活の仲間は
「辞めんなよ」
と言ってくれていた。
久し振りに部活に戻ると、みんな、喜んでくれたと、
凛次郎は、はにかみながら言った。
そして、K君は
「おかえり」
と言ってくれたそうだ。
私は、実は一番つらかったのは凛次郎ではなくてK君だったと思う。
今日、8月3日は車で2時間半ぐらいの所に練習試合に行った。
4戦全敗だったらしい。私には勝敗なんてどうでもいい。
ただ、一度決めたことを最後までやり遂げて欲しいだけだ。
これから、また、何が起こるか分からない
だって、人生は筋書きのないドラマだから。
とりあえず おしまい
4日間に渡って長々とお付き合いくださってありがとうございました。
これからも頑張って子育てをしていきます。
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