涙、涙の卒業式だった。


およそ2年前、
私の放った「なんでこんな子になったんやろう」と言う一言は、
凛次郎の人格を否定したらしく凛次郎をひどく傷付けてしまった



それ以来、凛次郎は私に物を言わなくなった。


3月31日まで友達と話をするみたいに、
毎日、毎夜、おしゃべりに明け暮れていたのに、
その一言を放った2年前の4月1日からぷつりと会話が途切れた。


私は凛次郎とのおしゃべりの時間が毎日の唯一の楽しみで、
魚屋さんでどんなに嫌なことがあっても、
その時間がすべての嫌なことを吹き飛ばしてくれていたのだ。


私は何をしても楽しくなくて、
心がどんよりした雲にすっぽり覆われたようで、
私は泣きたくなったり腹を立てたりした。


新学期の自己紹介で、私は、
「息子(凛次郎)は、とても頑張れる子です。
何を頑張れるかと言うと、私と物を言わないことを頑張れる子です!」
と言うと、大受けした。

また、
「人格否定なんて、おまえは雅子さんか!?」
って突っ込みを話すと、みんなは大笑いした。

私が面白おかしく話すので笑い話になるけど、
本当に、心底、私は辛かった。


余りの腹立たしさに、
どうやって仕返しをしてやろうかと考え、
あの「嫌がらせ弁当」のような事も思い付いたけど、
絵心のない私は諦めた。


家族麻雀をしていた頃(物を言わんくせして麻雀だけはしてた)も、
シンガポールに行った頃も、会話のない時だった。
そんな2年間を過ごし、卒業式がやって来た。


卒業式の後のホームルームでひとりひとり挨拶をすることになり、
最初の生徒が担任の先生、クラスメイト、両親にお礼を述べたので、
二番手以降、みんなが三者にお礼を言う流れになった。


私は凛次郎が母親の私に何て言ってくれるんだろうと
楽しみに待った。


すると、凛次郎は担任の先生にお礼を述べた後、
「両親には...えっと、まだ、反抗期が終わらなくて...」
と言って声を詰まらせた。


予想外の凛次郎の姿に、私は私だけが苦しかったんじゃなくて、
凛次郎も苦しかったのだと思うとたまらなくなって、
涙を堪え切れずにおんおん泣いた。。゜゜(´□`。)°゜。


そして、凛次郎は、暫く涙で物が言えなくて、
やっと、私に向けて次の言葉を口にした。


「ありがとうございました」


その言葉を聞いて、私はまたおんおん泣いたのだった。
                          。゜゜(´□`。)°゜。





さて、感動の卒業式から10時間後。



凛次郎はまた前の無愛想な凛次郎に戻っていた。
私の夢のような時間はシンデレラの舞踏会の時間よりも短かった。
                                  ヽ(TдT)ノ





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